アニメーション史に命をかけて撃ち込まれた、まごうことなき傑作。
皆さん、こんばんわ。掴みの一行を考えるのに30分かけました、筆者です。
最近ブログのネタにしたいことがたくさんありすぎて、今回の「パプリカ」についても、まとめた中に混ぜ込んでしまおうかと思ったが、熱意を一つの記事にしたくて止めた。
2006年公開、日本で作られたアニメーション映画。
以下、Wikipediaのあらすじ。
パプリカ/千葉敦子は、時田浩作の発明した夢を共有する装置DCミニを使用するサイコセラピスト。ある日、そのDCミニが研究所から盗まれてしまい、それを悪用して他人の夢に強制介入し、悪夢を見せ精神を崩壊させる事件が発生するようになる。敦子達は犯人の正体・目的、そして終わり無き悪夢から抜け出す方法を探る。
つい最近お試し期間の営業をされた動画サイトで偶然発見した。前から見たいなと思っていた作品だったのだけれど、そこまで大きな期待もせずに鑑賞し始めて数分後……
ぬるぬる動きすぎ!!!!!
よくアニメを褒めるときに「ぬるぬる動く」と言われたりするのだが、意味としては言葉のとおりで「アニメなのだけれど実写のような描写」ということだ。
アニメっていうのはとどのつまりパラパラ漫画で、一枚一枚の絵が連続して投影されていくことで作品となる。今でこそCG処理が主流となっているが、日本が誇るスタジオジブリは徹底して手描きのアニメーション作品を作り続けている。
この‟パプリカ”、おれが驚いたのは人間の一挙手一投足。とくに「走る」という動きに関しては、おれが見たアニメで一番芸術的だと感じた。何千枚書いてる??って感じ。しかも作品は「夢」がテーマとなっているから、その映像は想像を絶する動きをするし、一度鑑賞しただけではぜんぜん物足りないこと確実。
読者諸賢はお気づきか分からないが、筆者はこの記事で「アニメ」と「アニメーション」という言葉を使いわけている。
アニメという言葉はもちろんアニメーションの略称に違いないし、それをどうこう指摘するつもりはないのだけれど、ここからは完全に個人的見解で、筆者にとって「アニメーション」とは、そのいち描写に、現実味と創作の境目がすれすれまで交わるのだけれど、最後には人間の空想がコマ(時間という次元を超えた)で表現されたことによる感動を覚えたものを指す。(分かりにくいわ)
筆者はただのアニメ好きで、「アニメ―ション論」にすっ飛ぶつもりは毛頭ないけれど、筆者としてはたった一枚の絵が何百、何千、何万と重なり合って紡がれる物語の創出に、とにかく美しさを感じてしまう。
「効率悪いよね」「旧時代的」「CG技術で代用可能」
アニメに対して真っ先に思いつくような上記の批判、筆者はぜんぶ正しいと思う。たった一枚の絵を人間が死ぬほど書くって、本当に徒労だよ。効率も悪いし、時代遅れだし、ディズニーだって好きだし。それでも筆者は、手描きアニメーションが好きで堪らない。
たぶんだけれどアニメーションって、お百度参りとか、隅で祈り続ける敬虔な少女とか、行く宛てのないハイウェイとか、伸び続ける大樹とか、まるで意味などないけれど神秘的に感じてしまう行為に似ていると思っている。
ちなにみ筆者が大好きなアニメーションは“崖の上のポニョ”でポニョが宗介を追いかけるシーンと、“NARUTO”でナルトがペインと戦うシーンで、この‟パプリカ”はもう余裕で筆者の三大アニメーションにランクインだよね。(好きなアニメとは違うからね。好きなアニメはたくさんあるのだ)
ちなみに筆者がアニメとアニメーションを見分ける際に使っているのは、正面の描写、つまり前後の動き(横ではなく、遠くから近くに寄ってくる視点)をたくさん描写する作品はとてもアニメーションに力を入れていると思う。この難しい作業を宮崎駿はたくさん使う。「もののけ姫」なんて凄い。注意深く見てみると面白いかもしれない。
こうしたアニメーションを手軽に知られる漫画に『映像研には手を出すな』というものがあるから、それもおすすめだ。
最後に。
パプリカの監督、今 敏は、すでに亡くなっている。46歳だ。あまりに若い才能の死に、筆者は悲嘆に暮れるしかない。これから彼が遺した他の作品を観ていこうと思っている。そして、今敏がどのようなことを考えていたのか、オフィシャルHPがあったので、何気なく開き、最後の記事を読み始めた。
ぜひここまで付き合ってくれた読者諸賢も、今敏を知るきっかけとして、下記URLの記事を読んでほしい。このブログはもうこれから読まなくていいから、リンク先だけは読んで欲しい。それくらいの気持ちだ。ぜひ。
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