がむしゃらにかけた号令の後、僕は全体重でアクセルを踏み込んだ。大量の粉塵が辺りを舞う。
「ヒルジ、十時の方向へ」
「分かった。でもお前らのビークルじゃすぐ追いつかれる。何体かこっちで引きつける」
「了解。危なくなったらすぐ戻って」
こちらの声を聞き届けるやいなや、ヒルジを乗せる二輪型ビークルは≪蜜蜂≫の方向へ向かっていく。
武器が装備されるビークルは一般的に四輪型の装甲が厚い機体であるが、彼のビークルは機動に特化しながらも軽量型の機銃が正面に備えられている。パイロットがむき出し状態のため操縦技術がものをいうが、ヒルジのビークル格闘戦は僕の知る限り右に出る者はいない。四の五の言えない状況に、彼を信頼する他なかった。
捕縛兵器≪蜜蜂≫は補足対象の過度な裂傷を防ぐため、射撃機構は設計されていないはずである。ヒルジが時間を稼ぐ間に≪宇宙汽車≫の撃破を行わなければいけない。
「サク、月面(ルナ)はどうやって現れたと思う」
「見当もつかん。レーダーに反応もなかったか?」
「もちろんだ。僕が発見できたのも偶然と言わざるを得ない」
「月面の技術か……」
未知の技術も解明しなければいけないが、先決なのは≪宇宙汽車≫の現在時点の目的である。僕らは数百メートル先の上空を滑走する≪宇宙汽車≫を追跡するかっこうだ。
すると、複数編成された車両がわずかに地表へ角度をつけたことを確認できた。そして、そのまま荒涼な大地めがけてスピードを上げている。
炎天の逆光が重なり、≪宇宙汽車≫は天翔ける黒蛇のように見えた。侵略の毒牙。
僕は月面の目的に一つの仮説を立てた。
「サク、あそこだ。あいつらはステーションをどうにかするつもりだ」
「ステーションか」
「あと300m先にランデブーポイントをつくる。そこからハッチを撃ち抜くしかない。電子型を準備しておくんだ」
「もうやってる」
武器庫を振り向くと、サクは滅多に日の目を見ない長物を抱えていた。彼が普段とり回す狙撃銃の1.5倍はある。僕が指示を出すまでなく狙撃意図を汲んでいたらしい。訓練生主席は伊達ではない。
同時に後方を確認する。≪蜜蜂≫からはかなり距離を取ることができている。さらに彼方からは黒煙らしきものも、かろうじて認識することができる。ヒルジが撃破したのだろう。
「ヒルジ、僕らの現在時点から100m先で合流だ。そこをアタックポイントにする」
「オーケー、すぐ戻る」
思い描く作戦は滞りないものであった。
***
ランデブーポイントへ到着後、各自へ詳細な作戦を伝えた。すでに着陸した≪宇宙汽車≫は地表に敷かれている“地球側”のレールを使いながら、コズミックステーションへ猛進していた。ステーションはいわば研究施設にあたるもので、防衛力に関しては未だに整備が行き届いていない。そもそもが本部の空中網と砂撃部隊の警邏をくぐってくることを想定していなかった。
そのため僕らはステーションの入り口である岩肌を粉砕し、古典的な封鎖を試みる他なかった。頑健に思えるハッチだがその造りは心許ない、現状、自然の岩石のほうが行く手を阻むに相応しかった。
サクの狙撃準備完了後、間もなくヒルジが戻った。唸りをあげるエンジンはオーバーヒートすれすれまで稼働させたのだろう。
「無事か?!」
「おう、視認できたのは四機。一機しかやれんかった」
「充分だ、ここで迎え撃とう」
と、突如サクが驚愕の叫びをあげた。
「おい、あれはなんだ!」
「どうした?」僕はサクが微動だにせず射貫く先を確認した。
それはとても信じがたい光景であった。
赤焼けた砂地のど真ん中に、子どもが佇んでいたのだ。
「どっから湧いて出た!!?」つい先刻まで確かにいなかったことを僕は分かっていながら、声を荒げてしまう。
女の子だ。まだ10歳もいかないように見える。ボロ切れのようなものを身に纏っていて、肌は日に焼けて浅黒い。髪は乱雑に伸びていて見たことない赤色だ。手には四角い箱の物体を持っている。
まるで事態が呑み込めず、その場から動くことを躊躇っている様子でもあったが、何か動けない仕掛けを施されているようにも思えた。
「このままだとあいつを貫通するぞ」サクは幾ばくかの動揺を交えながら静かに告げた。
「殺すな!!!」
ヒルジが怒声をあげる。
「絶対に駄目だ、子どもを殺していいわけがない。それを許したら、おれたちがいる意味はないはずだ」
砂塵が吹き荒れる束の間、サクが初めて照準から目を離す。
「じゃあ、どうする? もう後に退けないぞ」
「おれが行く。おれがあいつを拾ってくる。合図のあと撃て」
黙って二人のやり取りを聞いていた僕は、ヒルジの提案に異を唱えた。前方は≪宇宙汽車≫、後方は≪蜜蜂≫、いずれもまったく猶予のない状況だ。恐らく、ヒルジが女の子を救出した瞬間には、サクの射撃が必要だろう。それには完全に三人のタイミングが一致しなければいけない。
「待て、無茶だ!! 電子型は弾速が桁違いだ。お前まで巻き込む!」
「その時はそれが結果だ。お前はいつかおれに言ったぞ、“全を尽くせ”、と」
ヒルジの双眸と相対した。砂地を覆う空のようなブルーアイズ。決して冷静さを欠いているわけではなかった。握りしめられた拳。自信と決意が漲っていた。
「おれと、サクを信じてくれ。そしてお前自身を」
サクもまた、瞬き一つせず、僕とヒルジを見つめていた。狙撃手らしい鋭さだ。微風に揺れた子の葉のように、ただ小さく頷いた。
三人の視線がぶつかる。電光石火が見えた気がした。
「ヒルジ、頼んだ」
彼は疾風のごとくビークルに乗り込み、即座にフルスロットルを開いた。
ヒルジは走行の砂煙が射程を邪魔しないよう、いくらか弧を描かなければならない。時間との勝負だ。≪蜜蜂≫も視認できるところまで迫っている。
とてつもない速度だ。途切れながら無線がくる。「いいか――磁力網(マグネット)――を使っ――子――もをた――ける。合図は――グッドサインだ!」
「了解」
磁力網であれば時速何キロでも物理的損傷を防げる。超速度のまま走り抜けられるだろう。
あとは、僕がスポッターとしての役割を果たす。
すでに狙撃準備に入っているサクの隣へ片膝をついた。スコープを覗き込む。ヒルジが限界までの速度で女の子へ向かっている。彼の軌道は濛々と乾いた土が舞い上がる。女の子は未だにその場に動けずにいる。今はむしろ、なにも分からないままじっとしている方がありがたい。
狙撃目標であるハッチもまた、このまま≪宇宙汽車≫が激突する勢いで突き進んでいる。進行経過時間と距離から、狙撃カウントを計算する……五秒だ。
ヒルジが女の子を回収する時間……ほとんど変わらないっ! 演算、状況、信頼。これまですべての経験を加味して打破するしかない。
ゆっくりとサクの肩に手を置いた。
「頼む」
返事はない。サクは深く呼吸をして、息を止めた。
五、
大地に揺れる陽炎。
四、
怯える少女。
三、
狂う暴走列車。
二、
咆哮するエンジン音。
一、
仲間のグッドサインーー
「撃てぇえ!!!」
閃光。
白い稲妻が弾道をつくる。
刹那、ステーションに激突寸前であった≪宇宙汽車≫の先頭を貫き、裏側に位置する岩壁を粉砕した。岩肌は自らの重量をもってして秩序なく崩れ落ち、真下にある列車を容易く潰していった。
ステーションは無事だ。ヒルジは?!
まだわずかに残る弾道を確認する。大破したビークルはない。
辺りを見回すと、少女を抱きかかえたヒルジがこちらへ向かっている。
「成功だ!!!」
隣のサクが長い息を吐きだした。
「お前らはさすがだ」無線範囲まできたのだ、ヒルジが安堵の声をかけた。
「二人のお陰だよ」
「ん、おい、待ってくれ。こいつがなんか話している」
ヒルジの慌てた様子の陰から、か細く少女の声が聞こえた。
「ティヒ……エルピーダ・ティヒ……」
ティヒ――古代ギリシア語で幸運……自分の名前を言っているのかもしれない。
「ヒルジ、少女が持っていた箱はどうした?」
「それが、消えているんだ……」
「なんだって?」
磁力網の効果範囲は対象の周囲をなぞるように引き寄せるはずだ。回収漏れはあるはずない。忽然と消えたのか?
「おい! 汽車が!!」再びサクの驚嘆が割って入った。
「なんだあれは……」
呆然自失であった。先ほどヒットしたポイントで挙動を停止していた≪宇宙汽車≫が、突如としてモザイク型に装甲が見えたと思えば、じわりと色味を失っていた。そして透過した瞬間のところで圧し潰していた巨石が落下し、土煙をあげたのだ。後方にいた≪蜜蜂≫も消え失せている。
時空転移。
もはやその可能性しか考えられなかった。
また少女の声が届いた。「月にはもう……幸せは……ないの……」
それだけ言うと、幸運の少女は静かになってしまった。
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