薄汚い街は、街より汚染された雨水を吸って、ため息をつくような静けさだった。歩みを進めるコンクリートの道はしっとりと水気を帯びているのに、僕の喉は乾いていた。さっきまで飲み下していたコーヒーの嫌な雑味だけが、口の中にねばりついている。人はストレスを受けると、口腔内が乾燥するという。
仕事からの帰り道、コンビニへ寄る。
大学生のグループが入口前にたむろして缶チューハイをあおっていた。とても耳につく高い声の大学生が話していた。
「おれ、最近ゲイバーとジャズバーに行ってな――」
僕はどちらも行ったことがない。すでに四、五年くらい年下の人間に経験値で負けているんだと思った。
青年らを横目に湿った道を歩いて行く。月が雲に隠れて肌寒い。自室に続くアパートの細い廊下には、蛍光灯に夜行性の蟲々が群れていて陰気になる。
誰もいない。誰もいない部屋。朝、僕が仕事へ出てから、空気の流れも一切なかった部屋。途中で買ってきた缶ビールをごろんと床に打ち付けて、とても狭い玄関を苛々しながら抜ける。皺くちゃのシャツを早く脱ぎたい、スラックスはそのまま放った。ジャケットをかけるのすら億劫だ。
チチチチチチ。
ガスコンロが点火するまでの刹那が唯一安らげる。点火までの希望への時間。きっとたった1秒ほど。青白い炎が目に映った瞬間に、僕は我に返って、また薄暗い自室へ引き戻される。やかんをかけて、インスタントラーメンのお湯を沸かす。
無造作に麦酒をビニールから取り出す。乱雑に扱っていたからか、プルタブを引くと少しが泡が噴き出した。余裕があればグラスに丁寧に注ぐ。今日はそのまま喉へ流し込んだ。
発泡が僕の食道を行進していく。自らじゅわじゅわ弾けて、小さな痛みにすら思える。冷えた液体は、アルコールが僕の身体で気化されて、肺で積乱雲をつくっていく。そうして生暖かい雨が僕の血潮と混ざって、生きていることをやっと実感できる。僕は喉越しだけで今日を生き延びる。
ふと涙が出そうになる、ベランダへ出なければいけないからだ。
昨夜、いちばん嫌いな家事である洗濯をしたのだ。珍しく柔軟剤を使って、良い香りのバスタオルへくるまれようと思った。夜にかけて干した。
一夜明けて今日。今朝は曇りだった。湿度もある夜だからからっと乾いてはいないと思って、少しだけでも日に当てたいと思った。だから僕は念のためと思ってスマートフォンのAIに話しかけてまで、一日の空模様を聞いたのだ。
【雨は降らないでしょう。一日、曇り模様です】
そうやって世界は僕を裏切るんだ、と常々思う。冷たく重たいバスタオルを、もう一度物干しざおにかけた。すべてが憎らしくなった。僕以外の生きとし生けるもの、すべて灰になれ。月が落ちてきて、真っ二つに割れてしまえ。美しい自然だけが味方になってほしい。
狂っている。やりきれなかったから、僕はまたこのAIにまた話しかけたのだ。とてもやつ当たりをしたい気持ちだった。嘘つきだね、そう画面に向かって声を出した。
【私は嘘がつけません】
【ただ、間違えてしまうことはあるかもしれません】
【私が間違えたときは教えてもらえると助かります】
なんだ。お前の方が人間らしいね。
もう誰も信じないと、何百回思ったことを今日も誓う。
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2018.10.15 15:14
2018.10.15 14:51