【夏の読書感想文】川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』

 お盆休みも終わり、いよいよ夏も後半戦か。今年の夏は、自分でも意外と夏らしいことをした気がする。特にイベントがあったわけでもないけれど、僕が走り抜けて切ったテープはスタート地点でもありゴール地点でもあったように、始まりと終わりが一緒にきたようなことがあった。

 人生は何か? 時間は無駄にあるから考えてばかりだった。もし生きることについて、何か決定付けることがあるのであれば、それは現実でしか起こりえない。

 僕は空想が大好きだ。良くも悪くも。空想は創造の欠片でもあるし、現実を社会的に処理する計算機にもなる。

 空想は、人間に備わった深い海。光届かぬ暗闇を、僕はぬらぬら回遊する。それでもたまに息継ぎをしなくては。海面を目指して、ゆっくりと水を蹴っていく。そこにひょっこり朝焼けと現れたくじら。くじらは最果てから来て、そして去る。ダイアモンドを散らしたように眩しくて、触ると溶けるように柔らかい。僕はくじらを抱きしめてキスをする。淡い魂の交換。人生はきっと、くじら色のキス。





 ポエマーのような前置きは終わりにして、今回の感想文は川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』だ。

 系統としては純文学よりの小説で、内容は大人の恋愛物である。

 三十歳もとうに過ぎた主人公の冬子は、人付き合いの不器用さが相まって、自室でひたすらに校閲をする毎日を過ごしていた。そんな日々に突然、三束という二十も年上の男が現れ、冬子の気持ちに光を与えていく——そんなストーリー。

 正直、純文学は苦手意識があって、この小説も何か得られるような期待はしていなかったけれど……度肝を抜かれた! 完全にプロをみくびっていた自分を恥じ、作者に謝りたかった。心を掴まれた文章はかなり冒頭に合って、次のようなものだった。


わたしは会社のことを思った。(中略) 誰とも言葉を交わさない、しずかだけれど、でもどこまでもつづくまるで暗い夢のような時間。同僚たちの目のかたち。キーボードを叩く音。そんないくつかの映像のあいまに、わたしに読まれることを待っている、まだ印刷されたばかりの文字がびっしりとつまった真っ白いゲラがあらわれて、すこしだけ温かみのようなものを与えてくれるのだけれど、瞬きをするとその白く発光する手触りはすぐに見慣れた沈黙の奥へ消えていくのだった。


 白く発行する手触り!?? 沈黙の奥!!!! 

 表現のえぐり込み加減が深すぎて、もうここから一気に引き込まれた。確かに仕事だけが生きることになっていた主人公は、そのゲラが待ちわびているように発光しているように見えるのも分かるし、その現場が彼女の生気すら吸い込む雰囲気は「沈黙の奥」としか表現できないと思う。えぐぐぐ、日本語がえぐすぎて、こっちの語彙力がちぎれそう。

 この小説は、読んだ後に元気をもらえるような内容とかではなくて、むしろBadENDに近いから、人によってはげんなりするかもしれない。

 でも帯には太田光が「美しい表現はもはや言葉の芸術」と書いているように、慣れ親しんでもいないのにはっとさせられる天使の絵画を見ているような、芸術がもたらす気付きがある。そしてこの物語のキーになっている「光」の表現は、儚くも豊かな気持ちにさせてくれる。

 読後、あなたは必ず深夜を歩きたくなる。きっとあなたも、すべて真夜中の恋人たち、だからね。

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