下弦の月を笑う犬 /2【LUNA series】


「それにしてもこうして集まるのは久しぶりだね」二本目のビールを頼んだところで、オルトは吐息を漏らしながらそう言った。

「ああ」

「しかし国境の防衛戦線はきつかった。哨兵≪セントリー≫のおれらまで駆り出されるってことは、けっこう切羽詰まってたのかもな」

「そうだね。月面≪ルナ≫が来ていたらなおさら危なかった」

 約一週間前、コラルド連邦から500km南下した国境付近で、現コラルド体制の反乱分子による破壊工作が激化していた。無論、国境には本部直属の国境警備隊≪ボーダーガード≫を配しているが、隣国はこれまでにない戦闘を仕掛け、無念にも第八警備隊が破られた際に本部から緊急招集がかけられた。

「みんなずっと眠そうだった」ティヒはテーブルに置かれたチキンジャーキーに手を伸ばし、むしゃむしゃ頬ばりながら言う。そしてその味に衝撃を受け「んん?!」と唸ったかと思えば「美味しい……」と顔をうっとりさせた。あまりの感動に「サクも食べて」とむやみやたらにジャーキーをサクの口元に持っていき、彼も言われるがままモチャモチャ肉塊を噛みしめている。

 オルトは無邪気な少女を見て言った。「ティヒもよく頑張ったからね」


***

 

 隣国は、敵ながら見事な策を巡らしていた。

 初手、それは前触れなく同時多発的に国境沿いの爆破工作から始まった。その数は東西にかけ約二十。砂漠のど真ん中にあるような無人のフェンスや、大胆不敵にも関所にあたる施設など、それは無作為なポイントで行われたかに思えた。さらに、その工作活動は各拠点で差異があったのだ。

爆破規模は国境線の中心部が最大で、そこから端にかけて被害は小さくなっていた。しかし――今にして思えば、襲撃直後の認識からすでに敵の術中に嵌っていたのだ。気付けていれば被害も少なかっただろうが、時は戻らない。

 警備隊は中心部から攻め込まれることを危惧し、左右の部隊を招集して戦力の増強を図った。予想通り中心部への攻撃はあったのだが、隣国の目的は別のところにあった。

「まさか一番端から攻め込まれるとはな」

「うん。戦力が分散された後、しかも補給から一番遠い場所だ」

 最初の爆破を受け、警備隊は本部に報告を行った。結果的に最悪の被害だった第八部隊のログは『敵の破壊工作を受けた。被害状況はフェンスの部分的破損。敵の位置は不明。警戒を強化する』という状況的に、彼らからすれば“いたずら”レベルのものだったと予想できる。

 その無線から六時間後、本部へ第二報があったときには部隊はもう突破寸前のところだった。隣国は中心部への攻撃と同時に、第八警備隊へ残りの全戦力を投入。メイン回線の通信機器が破壊できたときには、作戦の九割が成功していたと言える。

 さらにそこからの攻撃は凄まじい執念を感じざるを得ない。

 普通、紛争でも互いに補給や休息の時間を要するものだが、隣国は半日ごとに攻撃を再開した。それは縦深攻撃≪ディープバトル≫と呼ばれる戦闘教義の一つで、縦長による隊形から繰り出される一点突破および連続的な攻撃で、一拠点を壊滅させるためには最も適した戦法に違いなかった。

 もはや警備隊同士の補給がままならない状況だったが、何とかオルトらが所属する砂漠の哨兵隊各チームが集結し、そこから防衛線が開始された。

「本当に寝る間も惜しんだね」

「眠れないのが一番応えた。かなり外した……」サクが苦虫を噛み潰した表情で首を振った。彼は隊員の中でもよく眠る方だ。狙撃手は極度の集中と緊張で精神を削るのだろうか、なにより睡眠不足が大敵だったに違いない。

 サクだけに限らず朝、昼、夕、夜――途切れることのないアタックは、物資はもとより精神的な疲労が桁外れに蓄積した。この撃破は明らかに長丁場になると判断したオルトは、隊の中でシフトを組むことを決定。「全戦力投入」が本部の指示であるが、これは玉砕覚悟の戦争ではない。本部からの応援が来るまで、いかにして生き延びるか、それだけを考えるべきだった。

 そして何よりティヒを守り抜かなければいけなかった。

「ティヒがご飯を作ってくれなかったら死んでいたよ。ティヒ、ジャーキーは呑み込んでから次のを食べなさい」

 少女はずっと干し肉に夢中である。なにせ久しぶりのレーション以外の飯であるから、そうなるのも頷けるのであるが。

「わたしはレーションに味付けしただけだよ」

「おれはソイソース味が好きだったぜ」酔いが回ってきたのかヒルジが上機嫌で答える。

 ティヒを連れて国境へ向かのは苦渋の決断だった。しかし、身元不明の少女を預ける施設もなく、また隊員の目を離してしまう方が心配に思えた。

 考えたすえオルトは、ティヒを防衛線から数km遠ざけたキャメルのビークルに待機させ、そこを隊の休息拠点としても役割を持たせた。ティヒは時間ごとに帰ってくる隊員を出迎え、炊事・洗濯・掃除……といつもと変わらぬ日々を過ごさせたのである。

「とにかく、みんな無事で良かったよ」

 だから今日のビールもジャーキーも、チーム:キャメルにとってはひとしお美味いのだ。


***


 サクがティヒのためジャーキーのお代わりを頼もうと店員を呼んだとき、彼はスウィングドアから聞こえる女性の声に、ふと反応した。そうしてゆっくりと、疑義の視線を自らの長に向けた。

「隊長、あんた今日おれたちがどこにいるか本部に言ったのか」

「え、ああ。あんな作戦の後だからね、各隊の生存や戦闘報告の指示があったよ」

「くっ」

 はて、とオルトが思っていた時にはもうサクは動き出していた。突然立ち上がったかと思えばビールを一気に煽り、椅子にかけていたポーチをひったくる。「おれは行くぜ」

「は? どうしたのサク」

 外にいる連中は、やはり店に近づいてきていることがサクには分かった。もう会話まで聞こえている。

――隊長! これオルトさんのビークルじゃないですか!?

——ん、ああ。このビークルはチーム:キャメルのだ。その店にいるんじゃないか。

——やっぱり。そしたらサクもいますね!

 隊員の様子に呆然するオルトよりも、先に勘が冴えたのはヒルジだった。

「……オルト、外にはライノたちがいるぜ」

 ライノ! そうか、チーム:ライノが来たのか! であればサクの反応もよくよく理解できる。ライノ——そう、“サイ”の面々には彼女がいるのだから——

 直後、スウィングドアが勢いよく開けられた。そこには未だ中学校≪ミドルスクール≫にでも通っていそうな女の姿があった。背丈も並みの女より低いし、髪を左右に分けて束ねているから、もっと幼く見える。丸顔に付いている、これもまた丸っとした大きい瞳が店内を探っている。

「さぁくぅうううーーー!!!」

 鐘を鳴らすような甲高い声が店内に響いた。

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