価値という“幻”の再考。おれの人生を救ったバイブル、デビッド・D・バーンズ著『いやな気分よさようなら』から 1

 秋。とても過ごしやすい陽気になってきたが、近づいてくる仕事の繁忙期に身体が無意識に緊張している。伴い、考え方もネガティブになっていて、その状況整理も兼ねて表題の書籍から“認知の歪み”を引用し書き残したい。

 そして章立ての中から人間の価値について再考する。




◇認知の歪みとは

感情を決めるのは、現実ではなく、それをどう受けとめるかである。(p22)

 この浮世で起きる有象無象を理解、そして認知しているのは他でもない。あなたなのである。「当たり前のことを今さら何を」と思うだろう。

 つまり、現実とは“あなたにこう解釈されたい”と思って起きているのはないのだ。

 単純な例を挙げよう。

 目の前には野に咲く一輪の花があるとしよう。緑一面の原っぱに薄い花弁がそよ風になびかれているその花は、あるいは人の目を惹くかもしれない。そして綺麗だと思うかもしれない。

 さて、考えてみて欲しい。その花は人に「綺麗」だと思われたくて咲いているのであろうか。花が咲いている現実に、「綺麗」という意味を加工してできた感情を作ったのは、他でもないあなた自身なのである。

 85点のテスト結果、かけてみたが通じなかった電話、今日はやけに無口な上司……etc.

 そういった現実に意味づけしているのは、自分なのである。それをどう受けとめるのか。「85点のしかとれないなんて、おれはダメ人間だ。これからもずっとダメなんだ」このテスト結果という現実に、まやかしをかけて認知していることが”認知の歪み”である。

 先の例でいえば、15点の間違いだけを取り上げ何故か未来までもダメだと決めつけている。肝心な85点という正解を差し置いてまで。

 これは単純に「ポジティブ思考になる」という枠組みとは一線を画するものである。結果としてそれがポジティブ思考であるということであれば否定はしないが、認知の歪みとは、現実に起きていることを歪んだ認知で捉えている、ということにメスを入れたものである。

感情を決めるのは、現実ではなく、それをどう受けとめるかである。

 このことが無論正しいという立場をとるのであれば、現実に起きたことを正確に理解していれば、気分を覆う分厚い曇りも晴れるはずだ。裏を返せば、現実に対する認知が歪んでいれば、感情反応も異常を引き起こすのである。

 本書では常日頃発生している「いやな気分」をチューニングの合っていないラジオだという。トランジスターが壊れているのではなく、少しダイヤルを合わせればいいと。いつの間にか捻りすぎていた、心のチューニングを合わせれば良いのだと。

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