映画「レナードの朝」


涙腺崩壊(いつも)




あらすじ

セイヤー医師が仕事欲しさにたどり着いた転職先は、「重症精神病」の者たちが入院する精神病院であった。初めは慣れない職場に悪戦苦闘するが、患者を真摯に観察すると彼らに「魂」が在ることに気付く。セイヤー医師は発表された新薬をレナードに投薬し、そこから奇跡の夏が始まっていく。



 実はこの映画を知ったのは、とある、アル中バー(アルコール中毒のユーチューバー)でそいつは「にゃんたこ」という。

 彼女に影響されてか、ここ最近は自らのInstagramもアルコールを摂取する姿を映すだけになっているが、そんな彼女の動画は、訳の分からない飯を作りながら自分が好きなコンテンツを紹介する趣旨で、その一つに「レナードの朝」という映画があったのだ。

 



 にゃんたこの紹介から面白そうだとは思っていたのだけど、動画サイトの詳細には「ヒューマンドラマ」とうたっていて、120分もあるもんだから少なからず敬遠していた。

 そして本日、文化の日の振替休日だし、たまにはこう人間の造り出した文化文明に浸ってみようと、前日飲みあぐねたキリンラガーのプルタブを開けて再生ボタンを押した。

 後半60分。おれの涙腺は崩壊した。そしてラスト30分、もうずっと泣いてた。「え゛ぇえ"、ううぇ、ずびっううぇえ」って一人暗い部屋でえずいてた。隣に女の子の肩があったらハンケチ代わりに鼻水ずびずび拭いてました。

 

 なんというか、こういう精神病の物語を観ていると『アルジャーノンに花束を』みたいな最後を予想してしまうし、そうじゃなくてもこう報われないラストを考えてしまうから、おれの場合、脈拍は終始エイトビーツを刻んでいる。でも、この映画はちょっとだけ違って、まず主演のセイヤー医師演じるロビン・ウィリアムズという毛むくじゃらの男がほんっとにやさしい演技をする。漢字じゃなくて、平仮名の「やさしい」って笑顔を劇中なんども見せるから、もう彼のそんな笑顔を見ているだけで心がほぐれる。

 そしてなんってたって、タイトルにもなってる患者のレナード・ロウ役のロバート・デ・ニーロの名演が筆舌に尽くしがたい。

 重度のけいれんを伴う患者の役なのだけれど、まじで初めは「え、これロバート?」ってなったし、どういう稽古を積んだらこんなリアリティ(正確にいえば、おれはそういう患者を見たことがないのだけれど、そう思わせる演技)が生まれるのか、はっきり不思議でならなかった。

 





 おれが心を打たれて、かつ必ず観て欲しいシーンがある。それはレナードとポーラのダンスシーン。

 分かっているんだけど、おれこういう「自己献身」のやつダメなんよ(劇涙)


 ぜひ、この記事を読んで気になった方がいたら観てみて欲しい。心のデトックスと、心の在り方を考えたい人たちにはおすすめだ。

 そして、筆を置く前に大事なことを書いておこう――この物語は「事実」を描いた映画であるということを。

4コメント

  • 1000 / 1000

  • 七色最中

    2019.11.06 14:46

    @串刺し実はおれも記事を書いたあと「献身」とは違うかなー、って思ったんだよね。初め、ポーラに「会うのはこれきりに」っていう台詞に吐くほど泣いて、それは「新薬を投与されても経過が悪くなっていく自分」を見せ続けることで、ポーラの父に希望がないことを示したくないんじゃないかなって捉えたんだよね。ラストにかけて「自分をカメラに写せ」というのも、レナードの献身(つまり大人になった?)って目線で観てたんだけど、串刺しの言うとおり【恥】の部分は多分にあって、むしろそっちのが近いのかなって気がしてます。レナードの母だけが唯一、どんな状態のレナードでも続けていく献身というのは、残酷なのか慈悲なのか考えさせられるよ。
  • 七色最中

    2019.11.06 14:33

    @まるzombieコメントの件、いろいろありがとうございました。アプリ以外では通常通り出来るみたいです。 とても良い映画でした。レナードが起きたが「真夜中」だったのも、後から考えさせれる内容でした。
  • 串刺し

    2019.11.06 14:20

    ずっと献身的に接してきたのは母親なんだ。 母親が言ったあの子に女は早いっていう言葉に耳を貸さなかったけど 結局ポーラと仲良くなってから自由にしろって暴れだしたんだ。 レナードはまだ子供だった。 恥ずかしくて一人で外に出たい理由も誤魔化すような子供だったんだ。 空白の30年を正しく認識してたのは母親だけだったんだ。