今だけ、どうか元気のないことを書かせてください。思いつくままに、まったく脈絡のない内容を連ねることをお許しください。
僕はいままでもこれからも、駄目になっていく生き方しか想像できません。
それから、僕には、アイデンティティみたいなものが欠如しているのだと思います。ふるさと、と呼べる場所が自信をもって言うことができません。一因として、生まれた場所と、育った場所と、今の場所がてんでばらばらで、家族仲もたいして良いと思っていませんし、なんなら悪い方だとも思います。
たまにとても親孝行の知り合いと話していると、信じられないほど自分が劣悪だと思えます。「家族のために」という台詞は、今後ほぼ間違いなく、僕は発言しないと思われます。この言葉が苦手、いや、嫌いといって差し支えないのかもしれません。そういうとき、僕は薄情者なのだと自分に言い聞かせます。納得するまで言い聞かせます。でもなんで薄情者なのか、未だに納得していません。僕は別に、家族が嫌いじゃないからです。
昔から、自分が生きるのに精一杯でした。期待や信頼を過剰にキャッチし、好かれることに精一杯でした。嫌われることが嫌いでした。ただし、まるで自分一人で生きてきたように書いていますが、周りからしてもらったことを棚にあげ、自分だけが不幸のように捏造していることも承知しています。自分が駄々をこねている子どものようですし、あげくそういう子どもがいちばん嫌いなので、僕は自分がいちばん嫌いです。
そういえば兄弟の三男だけは、少し手をかけています。僕は三男の大学の学費を稼いでいます。前述した通り、僕たちの家族はとくべつ強い繋がりはありません。兄弟も然りですし、むしろ兄弟というのは、父母よりも余計に厄介な存在ともいえます。ただ三男には、この家族の問題を、幼い頃からありありと見せつけ、ふつうとは違う純粋な幼少を味わわせてやれなかった気がずっとしていて、とても可哀想に思うのです。三男とは8歳離れています。26歳の僕は、いま少しだけ、三男が可愛くみれます。大学生活に張りがないとぼやいています。どうか僕のようにならないようにと、忠告するばかりです。話は逸れましたが、僕が三男の学費を稼ぐのは、家族のためでなく、罪滅ぼしでしかありません。三男に許してもらうため、僕は残業しているのだと思います。
夜中、仕事から帰ると、イルミネーションがたまに目に入るようになりました。意外だと思われる方がいるかもしれませんが、僕はイルミネーションひいてはクリスマスが好きです。何故かと問われても難しいですが、恐らくイルミネーションをそのまま「しあわせ」と訳しても、仕方がないからでしょう。静まりかえった街はとても空気が冷えていて、僕は心の底からさみしさを覚えるのですけど、角のスーパーや民家の狭い庭がぴかぴか分け隔てなく電飾が灯っているのをみると、救われたように思います。
この時期は、僕の大切な人以外みんな死ねばいいのに、と本当に思います。僕は心構えが汚いからです。でも、本当に思って、少しして改めます。僕の大切じゃない人は、僕の大切な人にとっての大切な人の場合があるからです。むしろその方がもちろん多いからです。だから僕は改めます。どうか僕の大切な人が、そしてその大切な人が大切にしている人が、落ち込まないように。僕以外が命を落としませんように。星のように永遠でありますように。涙を流しませんように。
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