騒然としていた店内でも、入口付近にいた客はその金切り声が耳についた。
声の主がこんな場所に似つかわしくない“子ども”のようで不信感を募らせたが、続いて視界に入ってきたのが人間の腰辺りだったので周囲は度肝を抜かれた。
纏っていたのは迷彩のつなぎだったのでまず軍人だと想起させた。その長躯は経験則的に男だと思って視線を上にあげてみると、予想は一目で裏切られる。
ブラウンヘアーは短く切り揃えられているが、毛先はしなやかで健康的だった。鼻梁は額から慎ましく小高いカーブを描いており、特徴的な細く濃い眉は目じりの先まで伸びている。彫りの深い眼窩には切れ長の二重瞼が収まり、その大きな瞳は鋭く店内を見分していて、目が合うと男どもは縮みあがった。つまり、酔いが冷めるほど美人で、また力強さを感じさせる女であったのだ。
「マムいました! ヒルジさんが座っています。隣がオルト隊長で……あれサクがいない」
子どもの(ような)女に≪マム≫と呼ばれたレディは「相変わらず目がいいなシズク」と素気無く答え、人混みを掻き分け進んでいく。
こういう街は知らない顔というだけでも好奇の視線を浴びるが、天井を衝くような背丈も相まって彼女たちは余計に目立った。
いったい何者か? 彼女らが脇を通ったテーブルはいったんぎょっとして、すぐにひそひそと耳打ちを始める。二人が向かう先は店内奥のキャメルの連中たちが座っているテーブルだった。そうして間もなくオルトが声をかけていた。
「やあライノさん、お久しぶり」
ライノ——耳をそばだてていた客は飲んでいたビールを吹き出しそうになった。まさか、あの女がライノだと?
もし仮に、ならず者たちが「縄張りを一斉検挙される」情報を掴んだとして、次にとる行動は一つだけ。
実行部隊はライノじゃないのか、そうなのか、を確認するということ。もし前者で、やりあう相手がどこぞの馬の骨だと分かった場合、多少の犠牲を覚悟で迎え撃つだろう。しかし後者の場合であれば、身ぐるみまですべてを置いて一刻も早くここから離れた方がいい。翌日にはアジトの壁一面が、文字通り≪蜂の巣≫になっているから。
そう、知る人ぞ知る——彼女こそが【猛進のライノ】と呼ばれるライノ・クィントン・キャロウェイ大尉である。
***
挨拶もそこそこにライノは椅子をひいて尻餅をつくように座った。「やけに注目されるな」
「珍しがられてるんですよ。この辺りはまだライノさんの伝説も轟いてないみたいですし」
「なにが伝説だ。大げさに言うんじゃないよ」
大げさなもんか——誰がほとんど単身で敵拠点三ヶ所を制圧できるのか。
女はおしなべて口説きたいが、あんただけは遠慮させてもらいてえ。
と、男二人はそんなことが口をついて出そうになったが、すんでのところで閉口し薄ら笑いを浮かべる。
「オルト隊長! サクはどこですか?!」未だ少女のような面影を残すピチョンが前のめりに訊いてきた。
「僕は知らないよ」
彼女は顔だけを動かしヒルジにも目配せをした。
「おれもだ」
「じゃあここにはいたんですか?」
「どうだろうな」
まずい。ピチョンの眉根に皺が寄り、カチッと怒りのガスに火が点いたのが分かった。
「ヒルジさん、ふざけていないで教えてください!」
「知らないのは知らないんだ」
「そんなわけないじゃないですか!」
「キーキーうるせえなピチョン。そんなに喧しいからサクにも逃げられるんだ」
「その訳のわからない名前で呼ばないでくださいっ」テーブルについていた両手が叩き付けられ、グラスを揺らした。「それに逃げられてもいません!」
「今日はやけに気が立ってるじゃねえか」ピチョンの憤りもどこ吹く風か、ヒルジはぐびりとビールを煽る。
「わたしも一杯もらおう。ほらシズク、お前も座れ」
ここで一つ補足をしておくと、オルトらが呼ぶ≪ピチョン≫のフルネームはハイタニ・シズク。ライノが≪シズク≫と呼ぶ人物と同一である。第一砂撃急襲部隊所属、階級は伍長。≪ピチョン≫とはいわゆるジパングにおけるオノマトペ——雫にかけた愛称であるのだが、当の本人がお気に召す様子は一向にない。
「んぐ」
急に怒りの矛先をしまうはめになったピチョンは、不承不承という体で席についた。それでも敵意の目線はヒルジから外さない。
「じゃあバーボンを」
「Yes,ma'am」
「うわっ」
突如背後から聞こえた無機質な声にヒルジの肩が跳ねた。「……驚かすんじゃねえシュレム!」
ヒルジの抗議を受けた白髪の彼女はそれをしっかり無視し、忙しないウェイトレスを掴まえ淡々と注文を行う。
第一砂撃急襲部隊所属、シュレム・ボーデンシャッツ。サイレントキリングを得意とする暗殺者(アサシン)。階級は准尉。
ライトに当たると青白く発光しているのではないかと思えるほど、その肌は色素を失っている。ライノほどではないが上背もあり、後ろ手を組んでヒルジを冷ややかに見つめている。ヒルジからすれば突如背後に“現れた”、いや——きっと初めからいたのだが、彼女の存在を認識するためには神経を研ぎ澄ませないいけないので、不意に心臓を鷲掴みされたようなような戦慄を彼は味わったことだろう。
久しぶりの再会にしては感慨も少なすぎる気もするが、こうしてチーム:ライノの面々が揃った。
「許してくれ二人とも。シズクは次の演習で気が立っているから」ライノは運ばれたバーボンをなめてつぶやく。
そうだ、こうしていがみ合っている場合ではない。次の他国共同演習では彼女たちとチームになって戦うのだから。
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2020.02.11 22:51
2020.02.11 12:05