ブログを久しぶりに更新しよう。タグ付けも新たにして、このタイトルの記事はSFの感想を書き連ねる。ちなみにタイトルの由来はエイヴラム・デイヴィッドスン著「あるいは牡蠣でいっぱいの海」という作品から。
SFのタイトルって超かっこいい~、ってみんなも思わない? 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』から始まり、『月は無慈悲な夜の女王』(クール)『たったひとつの冴えたやり方』(ジーニアス!!!)『天の光はすべて星』(ルゥオマァンチック~)『虎よ、虎よ!』(ひえ~~~)とか、海外SFだけでなくブログでも書いた円城塔 著『バナナ剥きには最適の日々』は内容も大好きだし(これはさらに元ネタあるけれど)SFタイトルの秀逸さを挙げだしたらきりがない。
なにが言いたいかといえば「あるいは牡蠣でいっぱいの海」とか翻訳センス尖りすぎじゃない? これも最後にするけど原題:Think Blue, Count Twoを『青を心に、一、二と数えよ』だよ??! 直訳しちゃったら「青を考え、カウント2(実際直訳は意味が通じないらしい)」とかなのに、「青を心に」ってフレーズ痺れる~~~~、もうそんなん100まで数えちゃうよ~~~。というわけでSFタイトルは得てして真似したくなるんだけど、大して良いフレーズにならないのは何でかね~?(死んだ語彙力)
さて、前置きはこのくらいにして記念すべき第1回はこちら。
『夏への扉』(原題:The Door into Summer)
ロバート・A・ハインライン(米) 1956年
世の猫好きに捧げられた、冷凍睡眠(コールドスリープ)から目覚めた男の逆転物語。
みんなは『夏への扉』という作品名を聞いて、どのような内容を想像するだろうか。表紙は猫の後ろ姿とその正面の扉から男が覗き込んでいる、という見ようによっては不気味にも感じるイラストである。ちなみにおれはぜんぜん想像もつかなくて、恐らく猫が活躍するのかと思っているくらいだった。
実はおれの予想はあながち良い線をいっていて、Wikipediaによれば“猫SF”(そんなジャンルがあるとは)の代表作でもあるらしい。実際、主人公の飼い猫――ピートは大活躍をみせる! おれも昔猫を飼っていたから猫小説にはとても引きつけらるのだけど、序盤でピートについて語られる一文がとても愛らしくてさらに頁をめくるスピードが速まった。冒頭、主人公ダンと飼猫ピートは雪深い街に住んでいて、冬になると猫用の出入り口(扉の下につけられた小口)が雪で埋もれてしまうので、ピートは猫用ではなく“人間用”の扉を開けてみせろとまつわりつくという場面。
彼は、その人間用のドアの、少なくともどれか一つが、夏に通じているという固い信念を持っていたのである。これは、彼がこの欲求を起こす都度、ぼくが十一ヵ所のドアを一つずつ彼について回って、彼が納得するまでドアをあけておき、さらに次のドアを試みるという巡礼の旅を続けなければならぬことを意味する。そして一つの失望が重なるごとに、彼はぼくの天気管理の不手際さに咽喉を鳴らすのだった。
そーそーそーなんだよ(笑) と猫の生態を知っている人間ならばくすっとしてしまう。猫って本当に自分勝手なんだけど、それでもなぜか憎めない、という作者の猫好きが凝縮された描写に思えた。
さて、本書の軸となっているのはいわゆるタイムトラベルである。タイムトラベルと聞くとSFでは割とありがちな印象だが、この作品が扱うのは冷凍睡眠を使った物理的な時間経過である。著者の冷凍睡眠への拘りも見事なのだが、とある理由で現在に打ちのめされた主人公は、その冷凍睡眠を駆使しながら未来と“過去”まで変えようと奮闘する冒険活劇に近い趣があるのだ。
しかも本作は1956年に刊行されていて、作品の時代設定は1970年、そしてダンが冷凍睡眠で眠り続ける期間は30年。そう、彼が目覚めて生活するのは2000年代となっていて、作者は約50年後の未来を想像して本作を綴ったことになる。これはとても興味深い内容だった。服装、物流、娯楽、仕事。一つだけ紹介しておくと、本作の2000年代はピチピチの全身タイツが主流らしい(未来人って全身スーツを着させがち)。
……ロバートよ、それはおれが生きる2019年でも現れていないよ。けれども、実はこっちの方が発達しているんだ――と、描かれた未来予想図を点検しながら読み進めてみるように、今は亡き作者に語りかけられる面白さが古典SFの醍醐味ではないかとおれは思う。
福島訳は若干言い回しが古すぎる印象もあるため、新訳版もおすすめかもしれない。猫と未来とハートフルなタイムトラベル体験を味わいたい人は、ぜひ本書を手に取ってみるといい。
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