3月である。二十四節季でいう春である。
一言、疲れた。否、疲れてきた。たぶんもっとしんどくなる。
今年はなんだか冬が暖かくて、ラジオの天気予報もすでに「4月並みの陽気」といっている。冬好きを公言してはいるものの、春の訪れは嫌が応にも心がウキウキする。
……が!!! なんか疲れる。ウキウキはほんの瞬間的な心の弾みで、実際に到来してみるとすっごい疲れる。春といえば始まりだけど、始まりがあれば終わりがあるし、出会いっちゅうのはきっと誰かに別れを告げないといけない。嗚呼、疲れた。もう疲れたよ。しかも得体の知れないウィルスもはびこっているし、なんだかぜんぶが疲弊してるよ。みんな体調には気をつけて。
最近、自分は人間に期待しすぎていることを悟った。特に仕事関係で「なんでこうしないの?」と苛立っている自分がいることに気付いた。友人、恋人、家族、同僚、上司等、おれはそういう人たちに期待していたんだと思う。期待ならまだいい、おれはその言葉の裏に「見返り」みたいなものを求めていたのだろう。
——まずは与えよ
おれは、この言葉が好きだ。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
『自分の感受性くらい』
茨木のり子
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